カテゴリー別アーカイブ: アフォリズムと断想

闇の中の白い影に関する反哲学的談笑

自分探し

深夜のラジオで「自分探し」の話題をとりあげた番組をやっていた。日曜深夜(=月曜の朝)なんで、この時間帯はスポンサーが(ほぼ)ないはずで、この時間帯に、おもろいことが転がってるかもしれんなー。

文化系トークラジオ Life

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春一番、火星の台地

坂東の台地に春一番が渡れば、その風景は火星のそれだ。

畑の土が舞い上がり、砂塵となり、空を覆う。地平線は赤く染まる。

火星よ 我が故郷よ −

とさえ言いたくなる風景だ。
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逆さのB、極限の表現としての事故

 ここんところ、「事故学」みたいなものを考えている。

 前に「ヒヤリハットの法則」= 「ハインリッヒの法則」に関して少し調べたことがあり、記事にしてから、ときどきぼんやりと思い出すことがある。
 最近、毎日起こっている事故というのは、社会的無意識の表現のバリエーションなのではないか、と思えてきた。

フロイトが、言葉の言い間違いによって無意識の存在を仮定したのと同様に、社会全体に影響を与える事故というものも、「社会的な言い間違い」、社会的無意識の複合感情が事故という表現として出てきたんじゃないか、と。

#似たことを考えてる人はすでにいて、きっと研究しているんだろう、後で調べてみたい。

[追記2007年6月27日]
「積読」状態だった『アクシデント 事故と文明』(ポール・ヴィリリオ著/小林正巳訳/青土社)がほとんどの疑問というかモヤモヤした感触を少し鮮明にしてくれた。というか、この爺さんの語り口は象徴的な事柄をイメージの包囲網で指し示すやり方なので、アクシデントそのものが明快になったわけではなく、その様相がわかった分、さらに不気味になってしまった。
アクシデント 事故と文明

なんでこんなことを考えたか、というと、秩父別駅混雑事件まとめ@MellowMoonを読んで、そのエントリーでリンクされていた、マナー違反で乗客乗れず─東京の埼京線でも発生@ボーガスニュースを読んだから。

高校生が電車に乗りきれず駅に置き去りにされてしまった、というニュースに対して、「そんなに満員に乗せるのはいかがなものか」と皮肉を込めた架空ニュースが応酬。

ボーガスニュースのエントリ記事で気になったのは、乗車率1200%だって骨にしてしまえば可能だと、人間の悪の関係を揶揄的に表現していた部分。

“働けば自由になれる”ポーランドゆき路線で同水準を達成した事例がある。

「働けば自由になれる」! 思い出した、アウシュビッツの正門のアーチにはめ込まれている言葉「ARBEIT MACHT FREI」だ。ナチスに命令されてポーランド人の囚人が作ったというプレート。

電車、満員、労働、一斉の移動。

そこに表れてくる、何か、得体のしれない嫌な「密度」「圧力」「間隔」。
それらのイメージについて、まとまりはないけど、書き残しておく。

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