以下の文章は、評論家の切通理作氏の表明です。
個人の私生活と、仕事としての表現は別ではないか、という主旨には賛成するので、リブログします。
2009年08月08日(土) 『審理』公開停止への疑問
昨日、最高裁は酒井法子主演、故・原田昌樹監督の裁判員制度広報用映画『審理』の配信及び公共施設での貸し出し、および上映活動の中止を決定したというニュースを知りました。
私はただいま、ライターとして原田監督の遺された言葉を集め、関係者の証言をいただいた本を作っております。
その過程で、原田監督の遺作である『審理』は癌で余命を宣告されていた中で、命を刻むようにして作っていった作品であることを知りました。毎日撮影が終わると、監督は自宅で倒れていたといいます。それでも、撮影現場の誰一人重い病気だと気づかなかったぐらい、気力を限界まで振り絞って作られたのです。
出来上がりは壮絶さのかけらも見せず、裁判を描いて、ここまで心がやわらかくなる映画が他にあっただろうかというようなテイストで、酒井法子演じるごく普通の主婦の視点で、裁判員制度に臨む人たちに、人が人を裁くのではなく、罪を裁くのだということをわかりやすく説いていました。
原田監督が生きているときにはまだ行われていなかった裁判員制度における法廷、つまり「未来法廷」。そこを描くということは、監督からいまの時代に放たれたメッセージ。
それが、こんな形で「封印」されてしまうなんて。
裁判員制度の第一回法廷が開かれた直後という、ある意味一番タイムリーな時期に、こんな「未来」が待っていたなんて。酒井法子さんは原田組最後の主演女優でした。
覚せい剤の有罪性について論議があるのは知っています。でも、もし容疑が本当なら、酒井さんには、こういう影響がある立場の仕事なのだということに、もっと自覚を持ってもらいたかった。少なくとも、そういう信頼があっての上でのキャスティングだったと私は聞いています。でもその前に、容疑の段階でのこの措置は、公平な裁判について描く広報映画への措置として、他ならぬ最高裁が、性急に下していい判断だったのでしょうか。
そのことを、疑問に思います。
また、作品そのものと出演した役者、制作に携わったスタッフの私生活とは区別して考えるべきではないでしょうか。
そしてこの作品を、最高裁が制作した作品として、歴史から消してしまうようなことに、もしなったとしたら、とても悲しいことです。今回の公開中止はあくまで一時的な措置であることを祈ります。
※上記の文面に関しては全文コピペしていただいて結構です。一人でも多くの人にこの問題を知ってほしいと思います。