「マラソン」で検索していたら、「構造消耗マラソン」なる言葉が引っかかった。
なんだろう、この言葉は。
ますます仕事が忙しくなりそうなのに、収入が増える見込みはないからだ。今話題の「ワーキングプア」とは少し違う。「働き貧乏」、あるいは「忙し貧乏」に伴う消耗感とでも言えばいいのだろうか。6月20日は構造設計者の「消耗マラソン」がスタートする日なのだ。
(略)
巡り巡って、建物の耐震性低下という形で、ツケがユーザーに回される恐れが大きい。
このコラムでは、姉歯事件・耐震偽装問題を受け、「改正建築基準法」が2007年6月20日から施行され、耐震偽装は防げるだろうが、人員・予算・期間は限られるなか、チェックが甘くなる可能性があると警鐘を鳴らしている。
これと似た問題は、今や、あちこちで起こっている。
医療、介護の現場では深刻だ。
自分のいる出版・印刷はもともと規模も小さいし、常にサバイバル状態なのだけど、ここにきて、さらに長時間労働、オーバーワークの消耗戦に拍車がかかっているように思える。
まるでマラソンをしているような状態で、少しずつペースアップし、坂道になってきた、という感じか。
日本も急速に舵を切っている。時代は明かに変わりつつある。
90年代にビジネス実用書の企画編集をやっていたとき、こういう苛烈な状況が来るだろうというのは予測はしていて、警鐘を鳴らしつつも生き抜こうという本を何点か作った。バブルがはじけてもまだ残り火があって、そんな本はあまり売れなかったけれど、そのうちに、実力主義、成果主義、勧奨退職、生産性向上、アウトソーシング、派遣・アルバイト、流動化、非組織化と労働ダンピング……あっという間に、小さな出版社をとりまく労働環境と同じになってしまった。
「労働」「消耗」などという、殺伐としたキーワードで検索すると、新・旧の厳しい労働問題のページが表れてくる。
たとえば、原発の労働者。
旧ソ連や中国の核施設はさらに劣悪な環境で働いていたのだと思う。
世界には、想像を超えた過酷な労働がある。
だからといって、日本はまだ豊かだし、法に守られているし安全だ、甘えるな、というのは、2000年ぐらいの話で、2007年ではもはや通用しない。日本の労働環境の充実度、安全・安心感は、急速に失われようとしているのだった。
古い時代の労働はどうだったか、「女工哀史」。
長時間・深夜労働、粉塵や高熱、高湿の作業環境といった悪条件のもと、心身を消耗し、ひいては結核等によって死亡する女性労働者が相次ぐ時代の話。
女工哀史 ああ野麦峠
信州の工場では、わずかの賃金で、しかも1日に13〜14時間という長い時間働かされ、病気になっても休ませてもらえないくらい、厳しい生活だったそうです。さらに女工の寄宿舎には逃げ帰ると困るので、鉄のさんがはめられていました。
峠越え合わせて全行程140kmの山道を歩いていくというだけでもたいへんなことだけど、その仕事たるや、ファミレスの店長の数倍きつい、どころではなさそうだ。
野麦峠をよく知ろう
「工場づとめは監獄づとめ
金のくさりがないばかり
籠の鳥より監獄よりも
製糸づとめはなおつらい」
上の記事を読むと、労働環境は劣悪だったが、高収入だったらしい。現金収入がなかった小作農にとっては、自立するための原資となった。「それでも家の仕事より楽だった」という女性もいたのだから、山間地の農業がどれだけ大変なことだったか、わかる。
だからこそ、女性たちは、がんばり続けた。そして、無理をして、病に倒れた。
人間は無理をすることができる、一時は。長くは続かない。続ければ、病に倒れる。
今(2007年)でいえば、IT系の割りのいいアルバイトだろうか。
だが、そんなアルバイトで、女工さんのように、実家に帰って、田畑は買えるだろうか? 両親や家族が喜んで迎えてくれるだろうか。
徹夜徹夜で缶詰になってフラフラになりながら働いて、そのお金で、何ができるか。
新たな「ファクトリー哀史」「エンジニア哀史」が始まっている。
テクノロジーとは何か、について、もっと真剣に考えるべきじゃないか、と思ってしまう。
いずれにせよ、仕事で「走り続ける」には、自分の走り続けられるペースを見つける必要がある。遅すぎれば貧窮し、早すぎれば途中で病に倒れる。
休養と補給、効率とリズム、ルーチンの速度、快活さ、人との良好な関係。
そして、何よりも高い(深い)目標が必要だと思う。人を強く動かすのは、多くの人を魅了する夢(それは多くの人にとって役立つ何か)なのだと思う。
ところで、上で紹介した『あゝ野麦峠―ある製糸工女哀史』、amazonの書評を読むと、経営者(資本家)からの意見と、労働者側からの意見が載せられていておもしろい。この落差の現実を読むこと、経営者VS労働者一人では、経営者には決して勝てないということは、理解しておかないといけない。