2008年の北京五輪前までが、くすぶっている民族独立運動の示威を行う最適なタイミングなのだろう。
イラク撤退を見据えた米大統領選、拡張するEU、復活したロシア、先進国へと近づいていく新興国。全世界で民族およびナショナリズムの問題が噴出してくると思う。
チベットの暴動(元気な独立運動)の前、パンク・アナーキスト(?)のビョークが上海コンサートで「チベット独立」を叫んで物議を醸し出していた。
コソボ独立はこれに先行していたけれど、意図していなくても、各地でこうしたシンクロが起こり始めている。
この2008年前半期がもっとも効果的に動ける時期だろう。五輪も大統領選も終わってしまえば、世界は再び息苦しくなるのだから。
それが単なるパフォーマンスで終わるのか、それとも、引き返すことのできない戦争状態まで行くのかは、大国の出方次第ともいえる。
ロシアはチェチェンもあり、周辺での独立運動には曖昧な態度は取らないだろう。
中国にはチベットもあればウイグルもあれば台湾もある。一つ許せば、連鎖的に広がってしまうから、五輪で軟化するように見えて、見えない部分での弾圧はさらに高まるだろう。
それでも揺さぶりをかけて確かめる運動は勃興する。パレスチナ、イラク、イラン、トルコ、パキスタン、……アフリカも、南アメリカも……。
一旦、独立戦争が起これば、引くに引けない状態になる。
独立を支持する、しない、関係なく、その状態に巻き込まれた人間は、そこから逃れるしかない。
ハインリッヒ・ハラーの『チベットの七人』は現在のようなチベット弾圧の政治的コンテクストで読まれてはいなかった。高所登山をしていたら、人間の世界は戦争になっていて、彼らは戦争(捕虜)から逃れるため脱出を図る、自由に向けての困難な脱出。その人間(戦争難民)の視点にこそ価値があると思った。
ハラーには『白い蜘蛛』という著作がある。
悪魔の岩壁と言われたアルプスのアイガー北壁に挑戦するハラー本人の詳細な登攀記。
「白い蜘蛛」とはアイガー北壁の途中にある傾斜の強い「雪田」(こう訳されていたけれど、ようするに氷壁)で、砲弾のように降り注ぐ落石の巣であるこの箇所を通過することで頂上稜線へ可能性を探ることができる。そして、この「白い蜘蛛」に入ってしまったら、退却することはできない、とされていた。登ってきたルートも真下からではない。その箇所からロープを使って鉛直に下降することは、未知の箇所を下降していくことになり、危険すぎる。
「白い蜘蛛」へは、引き返すことができない急峻な岩のバンドを横断して到達することができる。
その箇所は「神々のトラバース」と呼ばれている。
当時「神々のトラバース」を渡ったら最後、氷壁にかじりつき、岩壁を攀じ登って、頂稜に達するしか、生き延びる方法はなかった。
アイガー北壁は困難である度合いよりも、危険である度合いのほうが高い。
危険と困難は分けて考えなければならない。それは山であっても、町(人間の世界)であっても同じだろう。独立を支持する、支持しない、どのような選択肢であっても、戦争という危険はできるだけ避けるということだ。「神々のトラバース」の先が砲弾の降り注ぐ氷壁なのか、それとも、困難ではあるが頂上稜線へと続く固い岩稜なのか、多くの人間の引き連れてその岩稜をよじ登っていけるのか、よく考えなければならない。「神々のトラバース」の先が地獄であろうが天国であろうが、その先は人間の生きていける世界のはずだ。
しかし現実は、危険と困難を選択する状態にはない。気づいたら北壁の真ん中にある「神々のトラバース」に取り残されている状態だろう。どちらかに動かなければ、落石の危険は避けられない。動いていなければ命は凍てつく。安全な対岸の麓から、双眼鏡で岩壁を覗いて語っている(自分含めて)間に、その安全だと思われた麓を岩雪崩が襲う。彼らが危険を冒して行動を起こし、困難に取り組めば、その足下から必ず小石が落ち、それが連鎖する。さらには安全な麓も経済の造山運動によって褶曲し、壁となることもあるだろう。