思考も行動も縛られすぎている、もっと自由に発想して自由に行動したらいいんじゃね?
……と、思うわけです。しかし……こんな年になって、まだそんなこと言ってるのかよ、って気もしますが……そういう人なんで放っておいてください(^_^;
自分には個人的にいろんな「師匠」がいて、たとえば、ビジネスだったら、最初に仕事で関わった「ビジネス師匠」ってのがいたりする。
自分にコンピュータやネットワークのスゴサを教えてくれたのは、学生の時の先輩で、彼は「PC&ネットワーク師匠」だ。
ニフティのビジネスマンフォーラムのサブシスをやっていたB氏は、90年代初頭にNECの98ノートPCを譲ってくれた。当時、自分は、零細出版社に入社して、営業マンとして毎日、書店をかけずり回って、自社の本のアピールして注文をもらってくるという仕事をしていたのだけど、書籍企画や編集の部署に異動することになったと聞いて、わざわざお下がりをくれたのだ。先輩が言うには「これからの編集にPCは必須、ネットワークは欠かせない、損はないから絶対に学んで欲しい」と。ところがバカなオイラはそれを1年あまり、放置していた。必要ないだろ、と……
ところが、付き合いのあった書籍のカバーデザイナさんが、カバーも組版もコンピュータでできるようになる、今はその過渡期だ、これからはコンピュータやネットワークの時代になるよ、と教えてくれた。そうなのか! それで放置してあったNECの98ノートを引っ張り出して、castermでニフティにオンラインで入会した。まだインターネットはなかった。ニフティで著者を捜して、会ったこともない人たちに原稿を依頼して、コラボで本にして出した。今ではそんなのは普通だ、でも、当時は、信じられないようなできごとだった。VZでテキストファイルを校正したり(256倍使った)、sedで一括で表記校正するようになった。sedは今でも使っているけれど、当時はFDドライブに直でかけて、「ガーガーガーガー」なんて30分ぐらいかかってた。本体にコピーする空き領域さえなかった。その時間に、うまい珈琲を飲んで見守る、それが贅沢な時間だった。
なにもかも、新しいことだらけ、誰もやってないことばかり、ほんとに自由だった。いや、零細の後発のベンチャーみたいな出版社にとっては、そうした「誰もまだやってないやり方」しか、サバイバルする方法がない、と思っていた。
今から考えると、そうじゃないよなー、なんて思えたりもするけれど、当時は真剣で、会社の命運を背負わされたプレッシャーはすさまじかった。