自分は後になって某動画で見たわけですが、ネットでかなり話題になってたようで。
この生活スタイルを構築したというところがすごいと思います。
自分はこれはできないし、やれないけど、すばらしい・・・(という評価をする人間です、自分は)。
ありえない、変態って言う人もいると思うんですが、日本のリーマンの世界だって、充分に変態っぽいところがあると思いますけど。
それを自覚してないほうが、よっぽど、危ない。
自覚してれば、どっちも真剣に生きてるってわかると思う。
自覚しつつ、平然とやってのける、それが人間ってものですから。
人はどう生きようが、国内法に照らして問題なければ、いいわけで。
で、人の生き方は様々なので、理解しがたい人もたくさんいる。
理解できなければ理解する必要はないし、遠巻きに「そういう人もいるよね」でいいんだけどな。
それをテレビ番組にして突きつける、というのがおもしろい。
レストランに行って、「シェフのきまぐれなんたら」ってメニュー頼んだら、突然、焼いたカエルが出てきたような(^_^;
でもさ、そのレストランって無料なんだけどね。テレビなんだし。
理解できないことへの過剰な反応が起こることのほうが、「なんだ、気にしてるんだ」って感じで、とっても楽しかったりする。自分の今の生き方に異議を唱えるような情報に反応してる、これはむしろ、健全な証拠ともいえる。違和を感じるという感性がまだ残っている。
冬の山で肉(獣脂)が食べられることは、すっごい喜びだと思うんだけどな。そんなことをしなくても食料は手に入る、生きられるのに、なんでそんな無駄なことをするの? というのも、間違ってはいないけどさ、そんなことをしなくても食料が手に入ることのために、この地球の表面はおそらく、あと数十年でとんでもないことになりそうだ、ってことなわけで。何日もお腹すかせて冬山をラッセルしてようやく鹿を一匹撃ってご飯を食べる、って程度だったら、世の中、もっと平和だったんだよ。
それはともかく……ああいったスタイルで生きることは、超ニッチだと思うけどね!
いやいや、マタギになれ、ってことではなくて。
誰もが年に150日、山に入って、サバイバルするなんて無理だ、山のなかで散弾銃の撃ち合いになる。
でも、彼一人ならそれができる。彼はそれを見つけたんだ。それが彼の生き方だ。
よく見つけた、と思う。
365日、山にいるわけではなく、契約社員として、里の仕事もある、その中での真剣勝負のサバイバル。
そういう生き方、いいと思うな。
ニッチで競合がないから、平和じゃないですか。
てか、この程度で驚いていたら、植村直己だって・・・
いつの時代でも、冒険は絶対に理解されない。
同じように経験する瞬間がなければ、決して、理解などできない。理解どころか、通常は激しく排除する。
だって、今の生き方、生活を否定するような情報を持ち込むかもしれないから。
それでもなお、繰り返し、そういうちょっと「異端」な人間は社会に生まれてくる。
それは、生存の多様性戦略だろうね。
誰もが安全なことだけに注力してしまえば、その世界は、外部からの予期しえない問題に対して、抗力を失うから。
それは、その種にとっての死、だね。
だから、敢えて、違う一手を常に持っているんだ。人間ってかしこいよ。
ちなみに、やってる方は、一心不乱にやってるように見えても、冒険に賭ける心を理解してもらおうと思って、なんどもなんども伝えて、理解してもらおうと、チャレンジしたと思うよ。でも、普通は理解されないと思うな。
終いには、理解なんてされたくないし、してくれとも思わない境地に至ったりして……。
奥さんと子どもが、それを理解してくれているから、彼はそれが今、安定してできると思うけれど、でも、理解されなくても、彼はそれを続けると思う。
そういう人間は必ず、生まれてくる。
未知に抗い、分け入り、可能性を探るという冒険心を宿す者は必ず、生まれてくる。
そうした冒険心を嫌う社会が、それを生み出し、内包している。
その社会は、基本的に、冒険者を理解しない。
それもまた、健全な社会だと思う。通常は、そういう冒険は不要なんだから。
冒険者は、理解されないまま、独り、歩む。それが正しい。
では、おのおのがた、まいろう。
私も服部文祥さんの情熱大陸を見ました。
情熱大陸はたまに変人が出ますが、この人は別格だと思いました。
彼が何日も獲物を取れずに最後に鹿を仕留めて、美味しそうに食べている
姿を見て人間の本能をみました。
家族の理解があるところがすばらしいと思います。
山に入ると最初はさびしさを感じるというコメントには変人も普通の人だと
感じました。
東京で契約社員で働いている姿は山の中の生き生きとしている姿からほど遠く
少し元気がないように感じました。
著書も何冊かあるみたいなので、ぜひとも読んできたいと思います。
これから注目する人のひとりになりました。
コメントありがとうございます。
人間として、自分を取り巻く世界と真剣に対峙して、集中して生きていく実感が欲しい、それを求めていく「求道者」という感じですね。それも本能の一つかもしれません。
人間の社会のなかでも、自然のなかでも、彼は真剣なのだろう、と思います。
そして真剣になればなるほど、人間はどこか、滑稽に見えてしまったりする……一方向に注力して真剣勝負する変人は別の方角から見れば隙だらけ、その隙がまた、普通の人間らしいなと思えたりします。
とはいえ・・。マネできませんね(^_^;