今回のハセツネでは自分の甘さに気付いた。
甘さがあると、一人で山のトレランをやってる場合は危険だと思う。
計画・準備、実際に実行の段階での対処、もっと充分に検討できたはずだと、後になって気付く。
充分にやれたら、自分の力が事前に把握できるということだから、安全度も増す。
そして、目標の山のトレラン計画だって射程に入ってくる。
それと、充分に検討する、というのは、充分に楽しむ、ということだ。
楽しんでないじゃん、と。
たくさんお金も時間もかけてさ、もったいないよね、と。
時間とお金を無駄に使う道楽としてやっているわけじゃないし。
(マクロ的にみれば道楽だし、道楽が悪いというわけでもないだろう、ということで訂正する)
で、2011以降があるならば、と、考えてみた。
PDCAサイクル(plan-do-check-act)みたいな感じで、なーんだかなー、という気もするけど、こんなふうにブログに書いて次回の作戦を練っているのも、楽しいわけです。
人それぞれ目標というか目的があるかもしれないけど、自分の場合は、トレランのレースではなく、自分が行きたいと思った山のルートを走ることが最終目標だ。
もちろんレース自体もすごくおもしろいけど、その延長の目標がある。
山で安全に目標を達成するには、今の実力(それは肉体だけでなく、知識や知恵の頭の部分も含まれる)をもっと伸ばす必要がある。
9月にやった南アルプスの横断で、最後、予定より時間が超過してしまった。事前の検討不足、運動能力の不足、原因はいろいろあるけど、これと同等かこれ以上の計画をやるには、もっと実力をあげておかないと、危険になってしまう。このときは天候がよかったけれど、天候が急変していたらどうなったか、ある程度の余裕がなければいけない。
自分のなかにあるいくつかの計画をやっていくには、その計画を安全にやり切るだけの実力が必要だけど、それが充分でないことがわかる。スピードが足りないというだけでなく、その計画を遂行するために真剣に考えて事前に対応するだけの力量がない、と感じる。
それは不安だし、払拭したい。
その検証の道具として、ハセツネはよい機会だと思う。
なんせ、具体的な数値で出てくるのだから。
ハセツネはいわば合宿の仕上げみたいなもので、そこで作った力を目標にぶつけてみる、ということ。
今より実力をアップする、どのくらいアップしたらいいだろうか、と考えると、それは目標のルートによって決まる。
それにはどのくらいのタイムでゴールすれば、充分と言えるだろうか。
自己記録を更新する、という目標でもいいけど、具体的に何時間何分あれば充分といえるの? と。
時間もそうだけど、レース展開の内容はどうあればいいの? と。
そうした大目標から降ろしていくのがいいのだけど、この記事を書き始めたときは、「1年後の時点で最良の条件を作り出せていたら、自己記録は1時間短縮できるかもしれない」というものだった。思っていたのだけど、そういうアプローチは自分の本当にやりたいこととは違うんじゃないか? と気付いて、今はそういうふうには捉えずに、別の観点から組み立てようと思うけれど……1時間短縮という観点でいえば、下記のような区間ベストを組み立てることになる。
スタート〜第2CP区間→第14回(2006)
第2CP〜第3CP区間→第18回(2010)
第3CP〜ゴール区間→第17回(2009)
いちばんよかった区間タイムを組み合わせ、かつ、それぞれの区間のタイムを少しずつ縮める。そうすれば、更新はできるはずだ(当社空想理論比)。
そううまくいくかないのがハセツネなんでしょうけれど(^_^;
このために必要な前提条件は
□スタート時の体重は63kg以下
□通年にわたり65kg以下、つまり、太ってはならない
□上記と同。通年にわたり走ること。走れない月があってはならない
□よいトレーニングを重ねること
□「登りの筋力」を落とさないトレラン専用のトレを続けること
□故障しないこと
□大会時の天候が雨でないこと
□装備、食糧等、万全であること
1年で到達できなければ、2年、3年とやればできるようにみえるけど、年齢的な面や、長期間に渡ってそのような条件を維持し続けることは確率的に低くなる。タイミングがよければ、ということになるけど、それでも、せっかくだから、自己ベストを出すだけのポテンシャルを持ちつつ、山のランをやっていきたいと思う。
岩登りや沢登りもまだまだやりたいと思うけど、それには仲間が必要だし、その仲間が賭ける生き様に見合うだけの出力がこちらにも求められる。それは全人格的なものだろうし、とてつもなく大きなもの、命を支え合うものだ(そうじゃないという人もいるだろうけど)。それをするだけの力は今はない。しかし、トレランであれば、自分にはまだできる。自分が安全にやれる範囲でならば、進んでいきたいと思う。そして、それがすばらしいものだと感じ、安全を図れるならば、誰かにそれを伝えて、もう一度、それにチャレンジしてみたいと思う。