世間は中国から来た(と思われる)毒入り餃子の毒と残留農薬に注目してるんだけど、
それより……コープ=協同組合、ってなんだろうね。
現在の協同組合って組織にはあまり興味がない。
なんだか、協同してないように思えるのだった。
協同はしてるのかもしれないが、機能不全を起こしてる、形骸化してる、
だからああいう事件が起こったのではないかな、と。
基本に還れ、ってことで、協同組合の誕生の歴史を探る、これはおもしろい。
今でいえば、NPO、ワーカーズコレクティブ、だろうか。先日も書いたけど、個人自営業なんてのは弱い立場だなぁ、そこらへんを強くするのはどういう形態か。
形態?
新しい仕事の協同的あり方、についてはグーグルで調べればたくさん出てくるけれど、形にこだわるよりも、そこにある何か、何をやるか、だと思う。それによって、求められる機能が選定され、それに合わせて組織が生まれ、達成されれば解散だ。
……しかし、人間は何か合目的的に存在してるわけじゃないので、目的から落としていって存在の有り様を決めるってのはおかしいことになる……いやだから到達不可能な至高の目標、誰もが望むそれを掲げれば協同の永遠の運動が開始される、解散されることなく……あれ? 未完成のまま対価が永遠に先送りになる、いいのか? ……と、そんな無駄なことを考えつつ……協同組合への興味は拡散してしまった。
そのあたりのことを考えさせられたのは↓
(このブログ主のエントリーは最初から最後まで反時代的ゆえに読みごたえがある)
wikiとかSNSへのツナギは飛躍と誤解だと思うのだけど、そんなのはかまわない、空気なんて読まないで、打ち捨てられたごっついユートピア論をネットに投げ込んでやればいいだけだ。小さく的に当てるマーケティングはどうでもいい、暴投でかまわないから投げること(publish)。企業だとそこそこ当てないと喰ってけないけれど、個人の自由な想像力はアタリハズレに収斂しないほうがいい。
ここでまた脱線して、他の記事も読んでいくと、「石川三四郎」なる人物が紹介されている。
これもまたおもしろい。
気になるので調べてみる↓
「日本の良心」石川三四郎(1)
「他人のために汗を流す反面、遠慮なく他者の援助を求める、これが石川の終生変わらぬ行動様式だった」
このサイトの解説が詳しい、青空文庫にも著作がいくつか載ってる。
(このサイトの主もまた、おもしろい人なのである。人に歴史有りです)
石川三四郎という人の思想や遍歴についてはなんとも言いようがないのだけど、人の力(お金含めて)から自然の力まで、借りたり貸したりすることが自然にできるような仕組みというか、存在について考えてたんじゃないのかな。自然すぎるので後で問題も起こすのだけど。利根川という水運で栄えた家が鉄道開通で失われて流浪の自由人になったからこそ、生まれた人間。
「借りたり貸したりすることが自然に自由にできる」世界。
…金利ゼロで返済期限がない、って世界だ。それは無理だろう。いや、貸し借りの少ない互酬的な世界なら可能か。
では、大きく借りても貸しても破綻しないとしたら?
連帯保証人=保証世界が別にあるのかもしれない。
信用保証されてるんだろう。
そんな世界は現実には存在しない。
しかし、だ。
それを社会的な目標とする者たちもいるだろうし、確信して先取りしちゃってる人たちもいる……今日はもう寝る(笑)。
たまたま見つけました。
ブログの紹介、ありがとうございます。
生協についての感想、全く同感です。
よろしく!
あ、どもども。
つたない文章で失礼しました。
また寄らせていただきます。
ブレカリアートでマルチチュードな内角高め直球のブログ、楽しみです。