自治会で近くの公園清掃を行っている。
昔、市で行われていた公園清掃が、町会に降りてきて、さらに最小単位の自治会に降ろされ、自治会会員を集めて、行われている。
市からは公園清掃費用が出されるのだけど、本来は市で行われるべきものだと私は考えている。
税金を払い、さらには休日には労働でかり出され……これでは「租庸調」みたいなものじゃないか、と思うこともあるが、近隣の公園はきれいなほうがいいわけだから、ここは命令されて行っているのではなく(当然だけど)、ボランティアの精神で行っている。
(これは特定の団体や個人に対して文句をつけようというものではなく、町会や自治会のあり方について、自分なりに考えたことを忘れないように、書いているだけです。誤解のなきよう、お願いいたします)
自治会活動についての、私の基本的スタンスは、以下の通り。
これ、自分の住んでいる地域の方、顔見知りの方が読んでいることも承知で書いてます。でも、陰口で書いてるんじゃないんですよ。言いたいことを言えない世の中は嫌だし、でも、言ってしまえば後味の悪いことや角の立つこともある、だいたい、誰も悪くないんですよ(あんたが悪い、って言われるかもしれんけれど)。どうすべきかなぁ、と思って、愚痴っぽく書いてるわけです(笑)。
話しを続けると……
冬の公園は落ち葉は多いけど、雑草が生えてるわけでもなく、表面のゴミだけ集めれば、人手が必要であるとは思えない。
今年度、自治会長の私はそう思っていた。
公園清掃の日曜日、雪が降ったので、当日の朝、掃除は中止された。
荒天で掃除ができなかったら、翌週に掃除というのが決まっていたらしい(そのように明文化はされていないが)。
私はこう思っていた、中止ならば、次週に人を集める必要はないだろう、と。
二週に渡って日曜に時間を取らせる、そういう権限はないだろう、雪が降ったとはいえ、3連休の中日だったのだ。
翌週の日曜の前日の土曜に、私は自治会代表として、掃除を行った。
もちろん日曜は行わない方針でいた。
そのほうが自治会会員の方にご足労いただくこともなく、効率的ではないか、と。
しかし、土曜の夕方、合同で行う自治会の方から、当日、人を集めて掃除に出るように電話で言われた。
他の自治会との合同の作業なのだから、あらかじめ決まっていることは、やってもらわなければ困る、ということだった。
確かに、人を集めてあって、合同で行う別の自治会からは人が出ないとなったら、釈然としないだろう。
しかし、たいして汚れてもいない公園清掃に自治会員を集めるのは、非効率だし、本来これは市が行うべきことじゃないか。町会も自治会も市の下部組織ではない。なにしろ法的な縛りもなにもない、強制される覚えもないし、そのような権威・権限・権力もないだろう、さらには日曜は、選挙の投票日だった。国民の権利を行使できる日だ。
公園が汚れている、ゴミが落ちてると思えば、思った人がその場で掃除すりゃいいじゃないか。それが本来の姿だ。
誰もやらないから、仕方ないから、みんなでやることにしている? 何か変な話しだ。
その自治会の方は、会長の私に連絡がとれなかったことから、私のいる自治会の清掃担当役員にも直接、電話をして、出てくるように言ったようだ。
それはないでしょ? 自治会の自治の枠を超えて、他の自治会の人間を動かすんですか?
その方の言い分に、電話口で、少し言葉を荒げて抵抗した。
先方はすでに人を集めており、手続通り、それが決められたことだから、これまでもそうだから、ということでこちらの言い分には耳を貸さなかった。
相手の言い分に何か間違いがあるわけではない。
私は押し黙った。結局、個人ではなく自治会の立場で事を荒立てるのはよくないだろう、という判断で、自分を含め数人が参加する、ということにした。
当日、自分の自治会から出せる人間が少なかったので、私は1時間前から土曜日に引き続き掃除を行った。
人数が少ない分は、時間で提供しなければいけないだろう、後で何か言われたくもない。
しばらくしてその自治会の方がやってきた。
いろいろ考えたが、相談もせずに掃除を勝手にしてオシマイにしようとしたこと、声を荒げたことは謝った。
近隣でトラブルを抱えるのは嫌なことだ。
その後、合同での自治会の清掃が行われた。掃除をやっているのを見かけて、私のいる自治会の方も数人、参加してくれた。
掃除は40分で終わった。
人が集まって掃除をする、掃除をするという目的というより、なんというのだろう、顔合わせ、という「儀式的=祭」のような機能もあるのだな、ということをぼんやり感じた。
効率的に処理すればいい、ということとは別の何かがそこに存在するのだな、という気がした。
目的は、清掃だけではない、人の集まりそのもの、ということだ。
そこに思い至らなかったのは自分の経験の浅さ、ということになるだろう。
ただ……何十人も人を集めて時間を拘束して労働させる、ということを軽く考えてもらっては困ると思う。
自分のいる自治会には自営業者が多い、日曜は仕事の方もいる。それを休んで、出てもらうことになる。さらにはお年寄りが多いし、若い人は出てこないし。
だから、たとえ手続的に正しいからといって、決まったことだからといって、電話で簡単に人を出せ、と言って欲しくないなぁ、と思った。
もちろん、合同で行う自治会の方は、何か強制しようとは露とも思っていないのであって、悪気もないし、ご自身、なんで文句を言われるのかわからない、そう言っていた。会長の仕事は大変だからそのように怒るのは理解できるけれども、と言っていた。その方も二週に渡って人を集め、立場や面子もあるだろうし、引くに引けなくなったのかもしれない。あるいは、決められたことを普通にこなすのが正しいのであって、そうでない人には反感を思えるのかもしれない。
ただ、それぞれの立場で正しいと思うことをしているのに衝突することもある、ということだった。
あらゆる世界で行われているちょっとしたいざこざ、衝突、ケンカは、互いに利害関係から正当性を主張して譲らないことと、正当性がトレードオフの関係になっていることで深刻な状況(果ては戦争)に陥っていくのだと思う。
自らの正当性を担保に他者に強制はできない。
現実には、人を強制したければ権力を持てばいいということになる。強制する力、すなわち権力を巡っての、剥き出しの争いが政治の世界だ。法によって制限されてはいるが、法を無視しても強制することは多いし、そもそも法のないところもある。不幸なことだ。誰にとっても。
もちろん、そんな話しをしても仕方のないことだし、言わなかった。
ただ私は、そういうふうに強制されるのが嫌なのだ、ということを感情で表現した。
そうしななければ伝わらないことがある。
そして、身近な人々の間でイザコザが起こるのはよくないだろう、だから、適当に折れた。
誤解であれ、理解であれ、地元住民が集まって結果的に公園がきれいになったので、まぁいいか、ということだった。
自治会の会長役もそろそろ終わりだ。いろいろ考えさせられたけれど、土日に時間をとれられるということが、自営業者には苦痛を通りこして、仕事そのものに響く、営業の数字に響く、はっきり言って困る、ということは言っておきたい。
ただ、高齢化が進んでいる都市郊外の現状を知ってみる、という視点で一回ぐらいやってみるのは、よい経験になるかもしれない。
お年寄りは自治会のさまざまな役員をするには荷が重い、ゴミ出し用のカゴを出したり、掃除するのだって大変だ。老いた父母を介護している方もいる、会議やイベントに出る時間だってない。若い方は出てこない。嫌で面倒だから、ではないこともある。遅くまで働いていて、疲れ切ってるのだ。土日まで自治会の活動に駆り出されるって? そんなのはゴメン被る、だろう。アパートに住んでいる方は参加しないこともある……そこは仮住まいであって、関係ないという意識もある。都会では普通の考えだと思う。
何か強制的にさせられる、という感じで行われるのならば、自治会の役員する人、そのうち、誰もいなくなってしまう。
財政が逼迫していく地方では、市町村の業務が立ちゆかなくなり、町会、自治会レベルまで降りてきて、いろんな衝突が出てくると思う。それは人ごとではなく、自分の生きている世界のことだと、多くの人たちが気づくことになるだろう。