オーム社の技術書の作り方。
「イテレーティブでインクリメンタルな技術書の作り方」
これを知ったのは、
オーム社開発部の方とのやり取り、オーム社開発部での開発体制@Geekなぺーじ [インターネット技術メモ]でのこと。
ブログには、
「出版社は原稿確認を著者に依頼し、その結果を反映させるためにDTP業者に外注をするそうです」
と書かれている。
それがなくなる?
わはは。オレ不要。
(Subversionなどの道具は別の話として)
サーバに載っけたデータが自動で組み上げられ、ネットを介して著者と編集者が組版データを直接いじって校正を繰り返しできるなら……中間の「組版屋」の役割はなくなる。機械にとって代わられる、ということ。
・最新の、そして、何度もチェックされた正しい記述内容
・コスト削減
にはなる。
ただ、それを行うことで、読みやすい本になるのかどうかは、最初のフォーマット次第になる。
ウェブで言えばCSS次第、そのデザイン感覚、ということになる。
機械でもできるだろうけど、その本に合ったレイアウトが機械任せにできるかどうかは、本の内容にもよるだろう。
単純な棒組なら簡単だろうけど。
また、限られた校正回数で発揮される異様な集中力と緻密な作業は、こうした仕組みでは現れない。優柔不断でなかなかフィックスできない。
他者に読んでもらう、他者に譲り渡されるという、切り離される感覚、手元から離れていくという不安から生まれる責任の感覚、も薄くなるだろう。
あと、不思議なことだけど、最終形態の紙の印刷されないと、わからないことがたくさんある。
でも……最終形態が紙ではなく、複数の形になる時代だから、それはそれでいいのかもしれない。
そんな時代に必要とされる「イテレーティブ」で「インクリメンタル」なDTP屋になるしかねーな、と思ったりする。
それをDTP屋と言うのか知らないけれど。
自分の周囲では、著者がInDesignで執筆したり、編集者自ら組んでしまう例が増えてるし。昨年の春にやったボランティア作業は著者が作った組版データの最終整形だったし(あらら、そこまでやっちゃってるの? オレの出番ないじゃん状態)。知り合いのデザイナーさんは、海外取材、写真撮影、執筆、図版制作、本文レイアウトから組版、カバーデザインまで、つまり、本の要素をすべて丸ごと作ってしまった。
考えてみれば、本なんてのは、どんなふうに作ったっていい、そういうもんだったよねぇ。
……ほんとは、こんなことを考えている場合じゃなくて、年度末に向けて、異様な切迫感のなか、組版をやらなきゃいけないわけです。でも、そうした仕事も永遠ではなく、新しい技術に代わっていくだろうし、自分から変えていくんだ、そういう姿勢でいないといけないなぁ、と思うわけです。
人間は機械だけど、睡眠時間が必要な機械なので、そろそろ寝ます。