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ゴントの書類綴
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[ 6-断 想 ] |
正月からランニング100km。午後になってから走り出す。千葉から東京へ、そして埼玉へ。
夜の京葉湾岸、谷津干潟沿いの歩道は走りやすく、干潟の面に映る街の灯が美しい。思いがけない夜の風景だった。皇居を周回し、北へと向かい、翌朝、自宅着。
さて、走りながら思っていなかったことについて、今、書いてみる。
0時を回った。今日は箱根駅伝。そのスタート付近を通りすぎる。
01時。皇居着。いつものごとく警備の警官が立っている。他には誰もいない。
誰もいないのか? いや……
走りながらイヤホンで聞いていたラジオから、敗戦時の玉音放送が流れる。
足を引きずり、ライトもなく進み、行き倒れ、昭和の歴史の闇の闇の闇へ、夜の夜の夜の影となった亡霊たちが、私を通して、その声を聞いているような気がしたが……私は霊媒ではない。気のせいだろう。帰ってきた亡霊たちは掘の周囲を渦状にいつまでも回転しているのだろうか、それとも靖国に収容されているのだろうか。断絶的で循環する閉じた歴史意識と連続的直線的(線分的)な歴史意識、その幾何学的接点は、皇居の掘で断絶されている。その掘はとても深く、渡ることができない。歳神が渡れない堀があれば、その先は歳をとらない世界、永遠の天国か地獄だろう。
幾度も回帰する苦しみの行軍、リングワンデルング(環状彷徨)する精神について考える。ホワイトアウトした雪中行軍時には、このようなリングワンデルングが起こりやすい。雪原を奮闘してラッセルしたあげく、また同じところに戻ってきてしまうのだ。雪の中でも、泥田の中でも、密林でも、闇夜でも、現代でも、それは起こる。
これだけ動いたのに、そう、時間も費やして足を動かしたのに、まだ同じところに留まっている。
そうだ、ここは……まだ1周目が終わったにすぎない。
彷徨うならば、彷徨うがいい、回転しているならば、回転すればいい。その回転の中心に重力がある。接近しつつスイングバイして離脱することは可能だろうか? あるいは、重力圏から離脱するために加速すべきか。そもそもオレはなんで遊星気取りなんだ? 皇居的存在をしてブラックホールや太陽になぞらえるのはいかがなものか。中の人、彼ら彼女らもまた、死と闇を畏れる人間だろうし、数ある恒星・遊星、超新星爆発のカケラの一つだろう。
円環的に回帰すべきか、それとも波線状に彷徨うべきかを幾何的な問いとして解いたところで、この膝の痛みはとれない。そうだ、この痛みを散らすために、様々なことに思いめぐらせているだけなのだろう。ここはアスファルトやコンクリの上。固く舗装されていると最初は快適な走りができるけれど、次第に膝が痛くなる。移動する生身の人間の足には、雪原でも泥濘でもなくアスファルトでもコンクリでもない、ほどよく踏み固められた土の地面のがいい。
いずれにしても、この世は、生身の人間の移動には最適化されていないようだ。
足が痛いのなら、いいかげん、進むのを止めたらどうだろう。この、どうでもよいランニングの企てから降りたらどうだろう? 簡単なことだ、足を止めさえすればいい。タクシーを拾って帰ればいい、正月だから電車だって動いているかもしれない。早く帰って眠ればいい。もう02時過ぎている。進まねばならない、その脅迫的な考えからこそ逃れるべきではないか? 運送の仕事ならともかく、タダで深夜に走ってどうする? 長距離のトラックだってタクシーだって夜間は割増だというのに。だいたい長距離を走るのは健康によくない。しかも寝ないで走るなんて寿命を縮めるだけじゃないのか。
山が見える、そこに行きたい。頂上から朝日を見たらきれいだろうな。それだけの動機で夜に山を登る人だっているのだから、夜に走る人がいてもいいじゃないか。
進めるだけ進む、走れるだけ走る。
ここで終わりにしない。100km走ると決めたからには走ろう。そこに特別の意味はない、MUSTはない。ただ自分が自分に対してそう決めたからそうするだけなのだ。走り終われば見えてくる何かに希望があるから走るだけ。ねばならぬこと、なければならぬことに追い立てられている日常、そうした命令群から自由でありたい。もしMUSTがあるにしても、今は、自分の無意味な命令によって走っていたい。
敢えて特別な意味を付け足すこともできる。得体の知れない大義や召命に急き立てられ感化され何事か熱狂的になされたことで世界中の怨嗟が爆発的に増した前世紀そして今世紀の初めのパラダイムから自分は距離を置いて冷静に自らと世界を見つめる視座を手にいれるために、走っていたい(食べていたい、眠っていたい、異性と抱き合っていたい、排泄していたい、ここにはあらゆる私的な動作が代入可能ですのでご利用ください)。
経済的・政治的・宗教的・人種的・民族的・国家的な、あらゆる対立を煽る為政者たちは、自ら無意味に走ったりしない。戦い合わせたい双方が見守るカメラの前で、マイクの前で、大仰な身振り手振りで演説をぶった後、その後は後ろに下がって、坐って指示するだけだ。彼らは微動だにせずに言葉だけで他人を動かす、口車という戦車に大衆を乗せ、自分は御輿に担がれる存在、権力とはそういうものだし、人間はそういう権力を熱狂的に欲することがある。結果として前線に送り込まれ銃を持たされ爆弾を持たされ殺し殺されて英雄に祀り上げられ参拝され、後衛では人殺しの手伝いという労働をさせられ多くの血が流され苦しみが増え続ける、そういう世界で、苦しみに加担せずに生きるための身のこなし方、振る舞い方、考え方を維持するには、走っていればいい(ラーメンが食べたければ食べていてもいいけど、その行為が連続的に自主的に可能である環境は、もしかしたら、走って移動する行為の中に限定されていく可能性もある)。走っていれば、少なくとも逃げ足は早くなる。敵前逃亡? そう、敵から逃亡せよ、敵が存在しなくなる無限遠点まで。自らの影が存在しなくなる夜、自らの内なる敵から、無限遠点まで逃れよ。
皇居2周目、足音は聞こえないが……我が内なる影は闇夜でもまだ追いかけてくるらしい。