近所のランニング仲間の方が試写会招待券をゲットしたとのことで、お台場で開かれた試写会に連れていってもらいました。
ありがとうございます>Isさん gontは映画のウェブサイトから試写会に申し込んでいたんですが、見事、ハズレました。
映画を観た後、出口で監督さんが一人一人に挨拶。握手しながら「日本でおそらく初めての、本当の山の映画を観させていただきました」とお礼を申しあげました。
そう、『劔岳 点の記』は「なんで人は山に登るの?」というのを、山そのものに答えさせてるような映画です。
日本がいかに「山の国」であるか、人が山と深く関わってきたか、わかりますよ。
もう今年は剣岳を登るしかないでしょう。
あ、登る前には、新田次郎の原作を読むと、より感慨深いと思います。
小説を読みながら地図を開くと、まるで劔岳を攻略している主人公になったような気分になる、劔岳の尾根や谷の概念図、コース、ルートが頭に叩き込まれ、小説の迫力が倍加するとのことです(Isさんおすすめの読書法です。映画を観る前、観た後でもよいですね)。
『劒岳―点の記 』(新田次郎著、文春文庫 (に1-34)、ISBN978-4167112349@Amazon
『新版 劒岳〈点の記 〉』新田次郎・原著作、山本 甲士・文、文藝春秋、ISBN978-4163280608)
山登りが好きな方は、映画館で観るといいですね。山岳の大きさは、大スクリーンじゃないとわからない。
剣岳に登ったことがない人は、剣岳の複雑な地形や険しい表情、優しい表情を知ることができて、予習になるでしょう。
剣岳に登ったことがある人にとっては、「剣岳」が「劔岳」に変わります。
「山岳」が「山嶽」になる。
道なき山を登るのはとてつもなく大変なのでした。
しかも、そこで測量という仕事をする、わけですから、苦労は何倍にもなる。
新田次郎の小説には、主人公にいじわるしたり、足を引っ張るライバルが出てくるんですが、真の敵対者はこの軍であって、あとは、山という大きな目的の前に、心が調律されていきます。初登頂のライバルであったり、労使の関係であったりするのですが、山のなかで次第に、心が同じ方向、つまり頂上への思いに集約されていく、このあたりの描き方は、すばらしいです。最近、こういう心の動き方を丁寧に描写するのを観たことがないので、よいなーと思いました。基本、みんないい人。
起承転結の「結」にあたる部分は、どうかなぁ、という気もしました。小説でもそうなんですが、「ばぁあああーーーーーん! じゃーーーん!」(稚拙な表現ですいません)って終わり方ではないんですし、「あ、あれ?? 監督さん、それでいいの?」と思う感じもしますが、それはそれとして、いいんじゃないかな、と思います。
ハリウッドのような特殊な撮影をしていないので、「目と脳に優しい」です。優しいのですが、その優しさと同じぐらい、恐ろしい感じです。濃密な空間が押し寄せてくる容赦ない恐怖、というのでしょうか。
最近の映画で気になるのは、近いところと遠いところばかりが強調されてメリハリはついてるのですが、密度の高い中間の距離が捨て去られているように思います。人間がコンピュータを使って遠近感を出そうとするので、近いところと遠いところだけを強調しがちなのでしょう。その分、この山の映画は、山そのものが中景を埋めていますので、それで、対象への距離感、その遠さ、近さ、空間の大きさ、世界の充実が観てとれるのです。それが、脳に優しいのであり、かつ、怖いのではないか、と思います。
そんなわけで、この映画はまた、映画館で観ようと思います。
ところで、剣岳には昨年、登りました。
富山湾からランニングして立山まで登るというマラソンのレースがあって、レース自体は完敗だったんですが、立山で一泊して翌日、室堂乗越から登りました。
とてもとても、遠かったです。
測量をした人たちも、富山の駅から歩いたんですよね……これは……遠いですよ……。
山に関する映画の個人的メモ:
(かなり適当)
『星に伸ばされたザイル』(3部作(らしい)の1作。優れたドキュメンタリー登攀映画、赤いチェックの素敵なセーターを着たガストン・レビュファーの! あのセーター、欲しかったんだよなぁ・・)
『アイガー・サンクション』(クリント・イーストウッドだね)
『バーティカルリミット』(かなりトンデモ。あんな距離ランジしたら腕が抜ける、てかダブルアックスだし)
『八甲田山』
『楢山節考』
『クリフハンガー』(二人でいっしょに麻撚りザイルで振り子トラバース?)
『運命を分けたザイル』(サバイバルはこれにつきるか)
『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(高校生のときに原作で読んだ。なんせ、山岳部だったもんで)
『彼方へ』(ヴェルナー・ヘルツォーク監督。怪勇ドナルド・サザーランド(キーファー・サザーランドの父ちゃん)が出ている。雪の舞う岩壁での単独登攀など見せ場がありました。山に惹かれてしまう人間の純粋な狂気、といったものを描こうとしたのかな)
最近だと、『北壁 ( Nordwand )』があるそうですが、日本では公開される(た)のでしょうか……
このほか、「最高の登山映画といえば – 登山キャンプ」「山岳映画について語るスレ」あたりに「山に関係する映画」が出てます。
自分が観てみたい、山の映画といえば、
「バリエーションルート初登攀に賭けた若者たちの青春群像」
でしょう。
第二次RCCあたりで。
(あの頃の登攀に関する山の本は、すべて読了したと思います。残念ながら自分は山オタクになっただけで、たいした登攀なんてできませんでしたが……)
当時の大学山岳部出身者と社会人山岳会の違いと競争意識などきちんと描いたら、当時流行った登山などの社会的背景もよくわかるのではないかな、と思います。
映画とはまったく関係のない話をついでに。
登山(長距離の強歩)の流行とファシズムには何かしら関係があるように思ってます。軍隊的な鍛錬というのではなく、ある種の彷徨する精神と、それが最終的に取り込まれいく原初の精神の座としての疑似的な民族性、といったものです(ロマン主義の先鋭化?)。ワンダーフォーゲルの流行がゲルマンそしてナチズムにつながっていく、という……山岳信仰や行者の行はどうなのか、といったあたりまで射程が広がるかはまだわかりませんが、これって、自分にとってはけっこう重要なテーマかもしれません。とはいえ、そんなこと考えてる時間はあまりないんで、まぁ、ぼちぼちいきたいと思います。
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