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もしもう一度選ばなければならないとしても

2023年猛暑の夏、パートナーのコロナ感染と父の救急搬送

2023年の7月、8月の記録。

最初に、コロナに感染したパートナーの記録。
そして、おそらくは猛暑で体力を奪われ熱中症になり免疫が衰え肺炎になってしまい、余命いくばくかの父についての記録。
それが他の誰かの、役に立つかはともかく、この時に居合わせた者の記録を残す。
そうしなければ、その事実は、誰も残さないのだから。

2023年7月27日(木)の夕、自宅に帰ってきたパートナーの目が充血している。
本人は気づいていない。これはおかしいと思い、検温を促す。発熱を確認。
コロナに感染したのではないかと、確保しておいた抗原検査キットを試すも陰性。
市販の風邪薬を服用するも、夜になって熱が下がらないどころか38℃を超える。
これはどうも変だ。病院の発熱外来でPCR検査を受けたほうがいいと判断。
以前に調べておいた、野外テントでPCR検査を行っていた発熱外来のある病院の、予約電話番号のあるサイトのURLをパートナーにメッセージで転送する。
ありがたいことに病院は自宅から自転車で10分くらいの距離だ。
明朝になっても熱が高いままなら、すぐ発熱外来を予約するようにと伝える。
実際にその通りとなり、午前に受診する。
インフルの可能性もありコロナと一緒に検査して、結果、コロナ陽性。

パートナーの職場で、パートナーが発症前の、週の前半に出社した上長が発熱して早退、コロナに感染していることがわかった。
その上長が感染の原因ではないかもしれないが、発熱したら出社しない、これは業務規則でMUSTにして欲しい。
感染したことを知らずに動きまわり、自らの家族や、会社の同僚、取引先に感染を広げてしまうのだから。

もし、パートナーがコロナに感染して命を奪われたら、
コロナを感染させただろう者とそれが所属する組織には相応の償いを求める、
自らの命にかえてもそれを果たす。

「コロナはただの風邪」なんかでは決してない。
高齢者、持病のある人に罹れば命を奪われる。

市販の抗原検査はあてにならない。
症状をよく観察し、本人だけでなく、身近な者が、これはおかしいと違和感を覚えたなら、病院でPCR検査を受ける、これがベスト。

自宅一室で隔離治療開始。
隔離期間をどれだけとるか。
政府、厚労省は「5類」に変えてしまい、5日でいいのだと。
それは政治・経済的に都合のいい期間でしかなく、実際には、10日前後はウイルスを排出している。
7月27日発症なので、前日26日には感染しているから、26日を含めてから10日後、翌週8月4日(金)までは隔離しなければいけない。

自宅内別居生活開始。
パートナーは基本的に閉めきった二階の寝室で生活する。
食事は配給する。
食事の食器は発泡スチロールと紙コップで、二階の寝室の扉の前にトレーで運んで置き、時間差でそれを引き取ってもらい、食事が済んだら食器をゴミ袋に入れて扉の前に出してもらう。
それを下げるときは、ビニール手袋をする。
ビニール手袋のまま、食器は専用のビニール袋に捨てる。スプーンと冷やした真水入りのペットボトルはよく洗ってリサイクル。
衣類の洗濯物も同じで、ビニール袋に入れて出してもらう。
洗濯は一緒にするが、ビニール袋は専用のビニール袋に捨てる。

このほか、自宅での行動はマスクをし、頻繁に手洗いし、換気を心がける。
トイレ、台所など共有スペースでは常にマスクをし、こちらがアルコール等で毎回拭く、手洗いするなどして、感染予防を心がける。
台所の換気扇は常に回しておき、窓を開けておく。なので、台所は暑く、調理は汗だくになる。
手拭きのタオルは自分専用のものを常に腰に引っかけて持ち歩き、それ以外使わない。

パートナーは喉の痛みが強くなり、通常食は飲み込めない。
お粥などの柔らかい療養食を作る。
朝はバナナや果物、ヨーグルト、パックジュースでいいが、昼・夕はいろいろとバリエーションを考える必要がある。
発熱して寝ている以外、ほかにすることもないとなると、飯くらいしか楽しみがない。飽きてしまう*1。

*1 これは何日もかかる縦走登山のパーティの食糧計画にもいえることで、毎日、朝は何かな、昼は何かな、夕は何かな、と食べる楽しみを継続させることで、悪天候やトラブルで疲弊しても、翌日へのモチベーションに繋がる。外国の旅の生活でも同じで、長期間になると朝・昼・夕と食べること に執着し、そのメニューの如何によっては、命を左右しかねない。邦画『南極料理人』を参照。

初日の金曜は適当にメニューを作ったけれど、土曜以降、翌週末まで、朝・昼・晩の三食のメニュー、そのレシピを適当に作成し、表にする。
あとはその場でアレンジする。

調理やら洗濯やら家事全般で慌ただしい日々が過ぎ、8月4日(金)には、熱も喉の痛みも治まり回復した。
よかった。

一方、老いた親は老いるほどに回復しない、永遠には生きられない。

2023年7月15日(土)午前、実家を訪れると、リビングに父の姿が見えない。
母に聞くと、父は朝から体調がすぐれず、寝室にいると。
布団が上げられた寝室の畳の上に父は横たわって苦しんでいた。
座って、頭を膝に乗せて額に手を当てると、明らかに熱い。発熱している。
エアコンの効きが悪いのか、寝室の気温は高かった。
エアコンの設定温度を下げ、弟に布団を敷いてもらい、父を寝かす。
このときすでに父は、高齢のため免疫力が落ちて風邪を引いていて、加えて熱中症になっていたと思うが、自分も含め家族の誰も気づかなかった。
父の状態は普段と違っていると思ったので、何かあれば休日でも往診してくれる近所の医療機関を検索して、弟に伝える。

7月18日(火)朝、父の容態が悪くなり、弟が電話して救急車を呼び、近所の総合病院に救急搬送、入院。
翌日19日の面会では点滴が効いて回復の兆し。今後の介護をどうするか、という話しに。
いずれにせよまずは入院した病院で、回復してもらわないと。

7月28日(金)、弟がケアセンターに行き、ケアマネに介護認定を申請。
介護認定や施設についてのあれこれについて考える。
高齢の二人の老親、母は昨冬に入院して退院したばかりだし、父は今夏に入院したばかりだし、
二人の介護を弟一人でするのは難しい。
さて、どうするか。

8月2日(水)、入院している父に、弟が面会。介助されて車椅子に乗って面会はできたものの、発熱のため数分で面会終了。

8月3日(木)夕、父がたんを喉に詰まらせ同病院のICUで挿管、命に別条はなしとの連絡。
同日23時、意識レベル低下と連絡あり。その夜は越える。
8月4日(金)、主治医より、熱が引かなければ、数日から週週間の命とのこと。

これはもう寿命で仕方がない、覚悟を決める。

この後については、落ち着いてから、投稿します。